中学受験 算数のガリ勉パラダイス

 あなたがこれまでに見聞きした中で、科学技術が真に人類を豊かにした、あるいは人類を救ったとあなた自身が感動した事例を一つ取り上げ、その事例についてそう感じた理由とともに説明しなさい。また、その基となる学理または技術について、その事例にどのように関わっているか、述べなさい。さらに、その事例に伴う負の側面をどのように克服できるか、論じなさい。


2016年度 東京大学工部推薦入試 小論文課題 より

解答例1を読む

     今、机に向かってこの文章を書いている私のまわりには、直線や円でできた抽象的な形の人工物だらけだ。というか、ほぼそれしかない。原稿用紙や消しゴムは直線が組み合わさってできた長方形や直方体だし、コーヒーカップや天井の蛍光灯は円形だ。

     ピラミッドなどの遺跡を見れば、古代から高度な測量技術により、直線を活用してきたことが分かる。その技術は今日までに驚異的に進歩し、昨年、1辺が4kmに及ぶ巨大なレーザー干渉計(マイケルソン干渉計)が重力波の直接観測に成功したが、その観測精度は、なんと、地球と太陽との距離(1天文単位=約1億5000万km)の直線に対して、0.1 nmのゆがみさえ検出する精度である。

     また円の活用は、何度も人間に革命をもたらしてきた。

     車輪の発明は、ガソリンの爆発力を回転力に変換するピストン・クランク機構の発明や、電流による電磁気力を回転力に変換する電気モーターの発明と統合して、人間の移動に革命をもたらしたし、高圧蒸気の力を回転力に変換して動力を取り出すタービンの発明は、発電機の発明と統合してエネルギー革命をもたらした。さらに、情報革命をもたらしたデジタル情報は、さまざまな電波によって伝達されるが、電波による情報伝達は、搬送波を変調させることで電波に情報を載せている。搬送波は正弦波であり、正弦波は単振動(等速円運動を真横から見たときの反復する直線運動)から発せられる。


     人は誰でも自明のこととして、曲線より直線に、長方形より正方形に、楕円より真円に、普遍性を感じる。それはなぜだろうか。

     それは人間の先天的な性質であり、人間の脳には、視覚情報を抽象的な図形に置き換えて、特徴を把握しようとするパターン認識の癖があるからではないだろうか。だから人間は、あらかじめ身のまわりを抽象的な図形から成る構造物で構築し、脳の負担を軽減しようとするのだろう。

     例えば、何も目印になるものがない場所でも、あらかじめ「まっすぐな道」を作っておけば、いちいち北極星の位置を確認しなくてもまっすぐ進めるし、あらかじめ一段ずつ同じ高さで作った「階段」があれば、いちいち足元を目視しなくても斜面を登ることができる。

     そうやって人間は、身のまわりを脳にとって予測しやすい環境にして、脳と身体の負担を減らしてきた。その結果、人間は驚くほど長寿になり個体数も増えた。

     しかしこれは、もともと備わっている本能に従った結果に過ぎない。なるべくしてこうなったのだ。そして、今後もその本能を止めることはできない。

     当たり前だが、人間は工学的な(テクノロジーの)進歩・発展を好む。テクノロジーの進歩・発展により脳と身体の負担が減ることは人間にとって有益、つまり「便利」だからだ。それは、高カロリーで消化・吸収がよい砂糖を食べると甘くて美味しいと感じるのと同様に、合理的な生物学的レベルの反応と言ってよいだろう。だから、先端テクノロジーの象徴ともいえる惑星探査などは、人間に深い感動を与える。

     ところが、人間にとって感動的な惑星探査も(もし火星人がいたら)火星人にとっては脅威でしかない。

     火星人を想定するまでもなく、あらゆるテクノロジーの進歩は必ず負の側面を持つ。身のまわりを新たに、より予測しやすい環境に置き換えるということは、必ず置き換えられる前の元の既存環境があるからだ。それを環境破壊という。ちなみにここで言う既存環境には、自然環境だけでなく、既存の文化、慣習、住環境、社会システム、工業技術なども当てはまるだろう。

     この負の側面は、既存環境へだけでなく、巡り巡って自分たちへ悪影響として返ってくるから「負」と認識される。

     たとえば、野生動物が保護の対象になるのは、生態系や地球環境が変化すると、ひいては自分たち人間に悪影響を及ぼす懸念があるからだ。一方、生産システムとして完結し、完全にコントロールされている家畜は、人間に悪影響はないので保護されないし、駆除もされない。また、完全に地球を脱出して月や火星に移住を完了した未来の人間にとっては、地球に野生動物がいるかいないかは、「負」でも「正」でもないだろう。

     つまり、環境保護という考えも、結局は人間中心のエゴであることに変わりはないということだ。

     では、本能のままにテクノロジーの進歩・発展を止められず、その結果、既存環境だけではなく、巡り巡って自分たちにまで災いとなる「負」の影響に対して、私たち人間は、どうすればよいのか。

     前述のとおり私たちは、自分たち中心の考え方しかできない。だから負の影響について、倫理・道徳的な問題として(たとえば野生動物や火星人の立場になって)考えても、矛盾が生じる。倫理・道徳的に善か悪かという問題としてではなく、純粋にテクノロジーの問題(工学的な課題)と捉えることで、不毛な議論をすることなく、着実に改善が進むのではないかと思う。

     たとえば、先端的なテクノロジーの運用現場で、具体的に何か重大な事故や問題が起きた時、その件に携わっていた関係者の利権や管理責任などが指摘されたりするが、そういう場合でも「社会工学」の課題として、改善すべき社会システムの問題と捉えれば、それは「工学的課題」になる。

     そうやって、人間に与えられた本能にしたがって、工学的な進歩・発展をさらに加速して進めることが、着実に「負」を改善していく。そして、またそれは同時に、次の潜在的な「負」の原因にもなる。ただそれだけのことで、テクノロジーの進歩自体は善でも悪でもない。



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解答例2を読む

     直接的に何かの役に立たなくても、科学技術の進歩は、無条件で人を興奮させる。本稿では、レーシングカーの開発にまつわる面白い事例を紹介しようと思う。

     自動車レースでは、レーシングカーの開発について様々な規定が厳しく定められており、その規定に則って熾烈な開発競争が行われる。

     自動車レースの最高峰「F1」(フォーミュラー1)でも、厳しくレギュレーションが定められており、それに則って、世界に名立たる自動車メーカーがしのぎを削っている。

     近年、F1のレギュレーションは、シーズンごとに大胆に変更されることが多くなっている。その理由を端的に言えば、スピードが出すぎるのを抑制し、安全性を確保するためだ。その他にも、上位チームと下位チームの差を拮抗させてレースを面白くするためや、放っておくと際限なく高騰してしまう開発費を抑えるため、という理由もある。

     実際、90年代後半以降のF1では、エンジン開発への規制がかなり強化されたために、パワーとスピードの追求が困難になってきた。そのためそれ以降「いかに運動性能を高めるか」という点に開発競争の重点が移った。

     通常、レーシングカーには運動性能を高めるために、ちょうど飛行機の翼を上下ひっくり返したような形状の「ウイング」が取り付けられている。レーシングカーはこの「ウイング」が受ける空気の力によって路面に強く押し付けられるので、高速でも横滑りすることなくカーブを曲がることができる。F1の場合、車体の前方に「フロントウイング」、車体の後方に「リアウイング」が取り付けてある。

     しかし、この「ウイング」には、大きなデメリットもある。

     路面に押し付ける力を強くしようとして「ウイング」の角度を大きくすると、コーナーでは安定して曲がりやすいのだが、角度が大きい分、空気抵抗が増すので、長いストレートではトップスピード(最高速度)が大きく落ちてしまうのだ。つまり、「コーナーでの安定性」と「ストレートでのトップスピード」はトレードオフの関係になる。

     もし、ドライバーのボタン操作によって自在にウイングの角度を変えられるような「可動ウイング」になっていれば、コーナーの多い場所で角度を大きくし、長いストレートで角度を小さくできるので、このトレードオフを解消できる。しかし、レギュレーションにより走行中に可動するウイングはずっと禁止されてきた。

     だから、コーナーが多くストレートが短いサーキットのレースでは、コーナーでの安定性を高めるために、レース前にあらかじめウイングの角度を大きくセッティングし、反対に、コーナーが少なくストレートが長いサーキットのレースでは、ストレートでのトップスピードを引き上げるために、レース前にあらかじめウイングの角度を小さくセッティングしてレースに臨む、というのが長い間、F1において当たり前の常識であった。

     ところが、2010年、あるチームが、このトレードオフを打ち破る画期的なアイデアの実現に成功したのだ!しかも驚くほど単純な仕組みでそれを実現したのである!


     この画期的なアイデアを説明するのに、「失速」という現象について少し理解が必要になる。

     飛行機が上昇するとき、上昇角度が急すぎると飛行機は「失速」してバランスを失い、最終的には墜落してしまう。この「失速」が起きるメカニズムは次の通りである。

     まず、上昇角度が急になると翼下面に流れる空気が多くなりすぎる。翼下面に流れる空気が多くなりすぎると、翼後端に大きな空気の渦ができて、翼上面にまで回り込んでくる。空気の渦が翼上面まで回り込んでくると、翼表面全体の空気の流れが乱れる。その結果、翼として機能しなくなり「失速」する。これを「境界層剥離」という。

     F1のウイングでもこの「境界層剥離」が起きれば、ウイングは機能を失う。ウイングがその機能を失えば、路面に車体を押し付ける力が弱まり、また同時にウイングが受ける空気抵抗は減少する!

     したがって、ストレートを走行するときにこの「境界層剥離」を意図的に起こすことができれば、空気抵抗が減少するので、トップスピードを稼ぐことができる!

     では、どうすればウイングに「境界層剥離」を起こせるのか。

     「境界層剥離」を起こすためには、ウイングの裏側に流れる空気の量を増やせばよい。そうすれば、ウイング後端にできる大きな空気の渦が、ウイングの表側にまで回り込んで空気の流れを乱し、ウイングは機能を失う。

     そこで、このチームが考えたのは、ダクト(空気の通り道)を直接リアウイングに接続して、リアウイングの裏側から空気を噴き出させるという仕組みだ。

     まず、車体前方に小さな空気の取り込み口を作り、そこから始まるダクトを運転席の横を通し、その後それを運転席後方のエンジンカバー上方に作られた板状のダクトへとつなげ、そのダクトをリアウイングに接続しただけの構造である。機械的なものは一切なく、単に空気の通り道を作っただけの構造になっている。

     面白いのは、ダクトが運転席横を通るところで運転席側に穴を開けてあることだ。通常はそこから空気が漏れてしまうので、リアウイングまで空気が流れていかない。ところが、ドライバーが膝や手の甲を押し付けてその穴をふさぐと、エンジンカバー上方の板状のダクトまで一気に空気が通って、ついにリアウイングの裏側から空気が噴き出すようになる。ということで、ドライバーが穴をふさぐだけで、いつでも好きな時にリアウイングを「失速」させて空気抵抗を減らすことができる仕組みになっているのだ。

     最先端のコンピュータで、エンジン出力や変速機を制御しているハイテクなF1マシンに、こんなアナログな操作方法の仕組みが同居していることに驚く。しかも、このアナログな仕組みによって、ストレートのトップスピードが時速10kmも伸びるというから、これまた驚きである。


     どんな科学技術にも負の側面が必ずある。今回、紹介したこの画期的なアイデアにも負の側面がある。

     それは、通常の運転操作の他に、「穴をふさぐ」という新しい操作をドライバーに要求することである。時速300km以上の猛スピードの中、膝で穴を押さえる方式なら、ブレーキペダルから足が離れてしまうかもしれないし、手の甲で穴をふさぐ方式なら、ハンドルを片手で持つことになる。(反論の余地はいろいろあるが)安全性が犠牲になっている。実際、このアイデアは、翌シーズンから規制されることになった。

     操作が増えることで安全性が損なわれると言うなら、ドライバーが操作しなくても自動で作動する機械的な仕組みにすればよい。しかし、そうなると今度は、その機械的な仕組みが故障した場合に、ウイングが機能を失ったまま第一コーナーに突入する、という最も危険な状況に陥る可能性が出てくる。これでは、まったく安全ではない。それまでどおり「穴をふさぐ」だけのアナログな仕組みにしておけば、このような故障は絶対ありえない。どちらが安全だろうか。

     このように、F1における各チームの開発競争とレギュレーション変更のいたちごっこは、実に面白い。



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