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 選挙の時、各政党は、様々な政治課題についてどのように取り組むかという約束(公約)をかかげ、選挙活動を行います。国民は自らの関心のある政治課題についての各政党の公約などを判断材料にして投票し、選挙後、各政党は、公約を実行しようとします。しかし、政策によっては、公約としてかかげていたにも関わらず、国民の賛同をなかなか得られないこともあります。
 なぜそのようなことが起きるのでしょうか。その理由について、【資料1】からわかることをふまえて説明しなさい。



2016年度 駒場東邦中学 入学試験 より

解答例を読む

     資料1を見ると、「日本人だったら皆、誰でも共通して関心がある」という項目はなく、関心度1位の「景気対策」でさえ、4割から5割程度の人にとっては関心がないということに、少し驚く。

     このことから、公約として掲げた政策でも賛同されないことがある理由として、「国民はそれぞれ自分の置かれている状況によって関心のある政策が違い、自分が関心のない政策には賛同しないから」という答えが、まず思い浮かぶ。

     それでも各政党や候補者は少しでも多くの国民の賛同を得ようと、関心度1位の「景気対策・経済政策」を重点政策として公約に掲げることが多い。

     しかし、国民のほとんどは経済の専門家ではないので、掲げられた経済政策の是非を判断できない。そこで賢明な人は、新聞の解説などを参考にする。ところがその解説も、新聞社によって主張する見解がまったく逆だったりする。

     これでは、まじめに考えようとすればするほど、何をどう判断したらいいか分からなくなる。

     でも、心配することはない。安心だ。日本は【間接民主主義】なのだ。

     国民が直接「政策」を選択する【直接民主主義】ではなく【間接民主主義】の日本では、国民は「人」を選べばよい。政治の専門家である政治家を選挙で選び、その専門家に政治を任せるのが間接民主主義である。だから、政策の是非がよくわからなくても、好きな「人」を政治の専門家として選べば、それでいい。好きな「人」を選ぶのは、友達をつくるときや、結婚するときにする自然な行為で、誰でもできる。

     常識的には「重要な選挙の投票を、単なる好き・嫌いで選ぶのはよくない」というのが普通の考えで、各学校で行われはじめた「主権者教育」でも、生徒たちは皆そう習っているにちがいない。

     しかし、ちょっと考えてみてほしい。好きな人を選ぶ行為、たとえば「友達作り」や「結婚」を、好き嫌い以外の理由で考える人を、あなたはどう思うか。

     好きでもないのに友人だと言ったり、好きでもないのに結婚するというのは、いかにも不自然で怪しい。というかウソつきだ。人脈作りが目的か。玉の輿に乗るためか。はたまた政略結婚か。

     思えば「好き・嫌い」つまり「主観」や「直感」で人を選ぶのは、いま流行りの「人物本位」というやつではないか。企業の新卒採用だけでなく、大学入試の選抜までもが「人物本位」がよいとされ、抜本的な教育改革が今まさに行われている。

     好き・嫌いで人を選ぶ、つまり「人間が人間を主観的・直感的に見極める」行為は、高度な社会的動物である人類が、まだ言語もないころからずっとくり返し行ってきたことでもあり、人類のその見極める能力はかなり精度が高いと考えてよいのではないか。

     もちろん、人が人を好きになるとき、直感的なものだけではなく、考え方や言動も含めてその人を好きになるのだから、各政党や候補者が掲げる政策や公約に意味がないわけではなく重要であることは間違いない。しかし、人が人を好きになる理由は、往々にして理屈を超えたところにあるということについては、だれでも一度や二度は経験したことがあることでもあり、異論はないだろう。

     事実、「人」を選ぶ【間接民主主義】は歴史の中で生き残ったが、国民が直接「政策」を選択する【直接民主主義】は、重要な政策について国民投票を実施する国も一部あるが、現在ほぼ絶滅している。ちなみに日本で国民投票が行われるのは、憲法改正のときだけである。

     ということで、本問題の問いである「公約として掲げた政策が賛同を得られないこともある」ことの、より本質的な理由は、「間接民主主義が【政策】ではなく【人】を選ぶ制度であるため」となるのではないかと思う。

     アメリカ大統領候補のドナルド・トランプは、「メキシコからの不法移民を防ぐため、米国とメキシコの間に【大きな壁】を建てる」など、どこにこんな馬鹿げた政策を支持する人がいるのか?と思えるほど過激で差別的な政策を唱えるにも関わらず、その歯に衣着せぬ物言いが国民の本音を代弁する存在として共感を呼び、ついに共和党の大統領候補となった。これはまさに、【政策】ではなく【人】として支持を得た例と言えるだろう。



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