中学受験 算数のガリ勉パラダイス

「横断歩道のまんなかでの、以下の出来事。――突然の強風に折れてしまった1本のビニール傘、降りしきる雨の中で、それをそのまま、そこで捨てようとする人。そんなことしちゃダメだ、危ない、と叫ぶ人。つまづいた母親の腕の中で、泣き出す赤ん坊。どうでもいいやと、足早に通り過ぎる人々。そして、信号はもう赤になったのだから、ともかく皆早くどけ、とばかりにクラクションを鳴らし続ける自動車。」――この情景をあなたが目撃していたとして、そこから得られる、あるべき社会全体の姿への示唆についての、あなたの考え方を、整理して示しなさい。


東京大学 文科Ⅰ類 2014年度 外国学校卒業学生 特別選考 小論文問題 より

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     人が困っていること、不便なこと、不満なことの中に事業化できるアイデアがある。まさに「必要は発明の母」だ。

     強風で傘が折れてしまうなら、傘の骨をカーボンファイバーで作ったらどうか。今は高価な素材だが、いずれ大量生産され価格が下がるかもしれない。

     逆に、ある強さ以上の力がかかると自動的に結合部が外れて衝撃を積極的に吸収し、骨が折れてしまうのを防ぐ傘はどうか。風が止んだら、外れた結合部を「パチン、パチン」とはめて元に戻せばまた使えるという具合だ。さらに、生分解性樹脂で作ればたとえ放置されても、環境への負荷は軽減される。

     また、どこのコンビニやキヨスクでも安いビニール傘を買えるから、壊れたとき修理してまで使おうとは誰も思わない。ならば、ある程度頑丈な傘を低料金でシェアして使える「傘シェアリング」はどうだろうか。借りた場所に戻さなくても、雨が止んだ場所にあるコンビ二などで回収してくれると便利だ。

     レインコートなら強風で壊れることはないが、雨に濡れたレインコートは始末が悪く、持ち歩くのが大変だ。だからレインコートは敬遠される。これも駅にレインコート置き場や「レインコートシェアリング」があれば便利だ。思い切って使い捨てタイプの安価なレインコートもいいかもしれない。これも、生分解性の樹脂で作れば環境負荷は少ない。

     赤ん坊を抱いた母親は、これから保育園にその子を預け、勤めている会社に出勤する途中かも知れない。自宅から遠く、職場からもそう近くはない保育園へ雨の中急いでいるから、不注意にもつまずいてしまったのではないか。

     保育園不足の問題は民間ビジネスでは解決が難しいが、高所得者向けに英語を母国語とする外国人シッターによるホームスクーリングとベビーシッターを兼ねた業態なら需要がありそうだ。

     とにかく早くどけ、とクラクションを鳴らすドライバーには、混雑具合から正確な最短経路と到着時間を表示するカーナビゲーションシステムをお勧めしたい。すでにそういう製品は販売されているし、無料で利用できるスマートフォンのサービスもある。今後、人工知能の技術がさらに進めば、アウトプットされる情報の精度はますます高まるだろう。


     少し俯瞰してこの情景をみると、壊れた傘を放置する人も、大声でそれをヒステリックに注意する人も、不注意にもつまずいてしまう母親も、それを見ながら無関心に通り過ぎていく人々も、歩行者をクラクションで急かすドライバーも、皆、時間に追われているのか、余裕がないことに気付く。この殺伐とした光景の元凶は、人々の「余裕のなさ」だ。

     人々の「余裕のなさ」を解消する商品・サービスの実現は、なかなか難しい。たとえ〈安くて絶対に壊れない傘〉〈保育園の大量増設〉〈超優秀なカーナビ〉が実現しても、この「余裕のなさ」の解消には有効ではなく、至る所で新たな殺伐とした光景が生まれ続けるだろう。

     時間がなくて余裕がない人には、便利なタスク管理ツールや、仕事の優先順位のつけ方と時間管理術を説くセミナーなどがあるが、これらによって人は「もっと無駄を省いて、もっと時間をうまく使わなければならない」と急きたてられ、逆にますます余裕がなくなってくる。これではまったく逆効果だ。


     すべての経済活動は、経済的合理性の要請により効率が追求される。たとえば、企業や組織の基本的な賃金体系は労働時間に基づくので、当然、労働者は厳しく時間管理され【労働生産性】が追求される。さらに市場経済の中で競争原理が働き、その追求には限りがない。

     さらに、この経済的合理性の追求を「正義」と考え、信じて疑わない人は多い。その人たちは労働の場面だけでなく日常生活でも合理性を追求する態度が習慣化しており、休日には、最短経路・最短時間の道順で、最もコストパフォーマンスがよい買い物をしに行く。

     【労働生産性】は、一般に【付加価値】を【のべ労働時間】で除すことにより計算される。【付加価値】は一般に【売上高】から【その売上を上げるために必要となる外部調達費】を差し引いたものだ。

     私はここで二つの疑問を感じる。

     一つは【付加価値】の評価方法についての疑問。つまり、ある一人の労働者が生み出した価値を、相対的に評価することなど本当にできるのか、という疑問である。たとえば、ある労働者が自身の所属する組織内において、チームワークの醸成やモラル意識の向上、コンフリクトの解消などに大きな貢献をした場合、それを売上高や利益への貢献としてどう評価するのか。【労働生産性】はどう評価するのか。

     もう一つは、【労働生産性】を高める方法といえば「労働時間短縮」や「仕事の効率化」ばかりが取り沙汰されるが、【付加価値】自体を最大化させる方法もあるのではないか、という疑問だ。たとえば10倍時間がかかっても100倍の【付加価値】を生めば【労働生産性】は10倍になるが、なぜ、それはあまり検討されないのか。

     たとえコスト(時間や費用)が増えても、相対的な評価ではなく自分が本当によいと思うことを突き詰めることで、顧客を強く惹きつける高付加価値の商品・サービスが生み出されることはよくある。スティーブ・ジョブズによるiphone開発もそうだったし、宮崎駿のジブリ作品もそうだ。本来マイナスの意味を持つ「こだわり」という言葉が、良いイメージを喚起させる宣伝文句として至る所で目にすることからも、それはわかる。

     日本の就業者の約7割がサービス産業(第3次産業)従事者だが、顧客のために想像力を働かせ、労を惜しまず「もうひと手間」かけようとする「まごころ」があるかないか、それがサービスの質(付加価値)を左右するのではないか。

     少なくても、通勤途中にすれ違う人たちに、ほんのわずかな気遣いさえできないほど、気持ちに余裕がないサービス業従事者に、よい(付加価値の高い)サービスなどできるはずがない。



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